つばさ通信

編集・発行元:事務局
毎月1回発行

2003年12月発行(第166号)

骨髄データ登録者数

11月(人) 累計(人)
長野 15 2,481
全国 2,116 179,366
*患者現在登録数:2、327人

公的骨髄バンクを通じた骨髄移植 11/30現在 (5、266例)


今月号の内容

 
Monthly Report
連載「私 生きられるんだ I」
活動報告
皆様のご寄付を心より感謝いたします
伝言板
一年頑張った会の報告

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Monthly Report

2003.12.16(骨髄移植推進財団発行より抜粋)

12月18日は骨髄移植推進財団設立の日。

12年前の1991年12月18日、当財団は厚生省(当時)より設立許可を受けました。昨年度までは、この日にちなみ骨髄バンク推進月間を12月としていましたが、今年度より推進月間は10月に変更となり、その存在が忘れさられがちです。12年目の本年、骨髄バンクを通じた移植は5000例を超え、そしてドナー登録者数も間もなく18万人に達する見込みですが、これからも移植を待つ患者さんに一日も早く提供者が得られるように、そして提供されるドナーさんが安心して骨髄提供ができるよう、サポート体制を今まで以上に充実させるべく、努力してまいります。
今後とも皆様のご支援とご協力を賜りたく、お願い申し上げます。

ドナー適格性判定基準が一部改訂されました。

本年11月より、日赤の問診基準の改訂に伴い、ドナーの適格性基準を一部変更しました。遺伝疾患、精神疾患などに関して制限が厳しくなり、またヤコブ病やマラリアの流行地域に渡航した場合、その滞在期間によって提供できなくなる場合があります。ドナー適格性判定基準は、その時々で新たな疾病や、問題点について改訂されます。ドナー登録時の基準とは異なり、登録はできても提供ができないこともあります。ドナーの安全確保および患者さんの安全対策上の取り扱いですので、皆様のご理解をお願い申し上げます。

映画「半落ち」が来春公開 試写会に50組100名様をご招待。

劇場用映画「半落ち」のチャリティー試写会に、骨髄バンクニュースの読者50組100名様をご招待しています(詳細は骨髄バンクニュース23号をご覧ください)。物語は骨髄バンクを題材にした社会派サスペンスですが、原作者 横山秀夫さんのご家族が骨髄バンクを介して骨髄提供を受けた体験がベースとなっており、映画でも非血縁者間骨髄移植の“生きている実感を、見ず知らずの誰かと共有する”という本質がしっかりと描かれています。一般公開は全国東映系列劇場で1月10日からの予定です。

当財団への問合せが減少しています。各団体や企業、サークル等の機関紙にドナー登録問合せ電話「財団フリーダイヤル0120-445-445」と「財団ホームページアドレスhttp://www.jmdp.or.jp/」の掲載をお願いします。

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私 生きられるんだ I

〜移植体験を通じて思ったこと〜 湯本倫子

]\.現在の生活とこれから

この文章も今回で最後です。現在私がどう過ごしているかと申しますと、移植後1年が過ぎ、通院はほぼ月に一度になりました。血液データは比較的良好ですが、どういうわけかコレステロール値が高いです。ナゼ?この年で動脈硬化なんてヤダなあ。運動不足かもといわれ、仕方がないのでウォーキングを始めました。といっても、近所を思いつくまま歩き回っているだけですが。だいだい1時間程度でしょうか。おかげで体力はかなり回復したように思います。つい先日までは、必死こいて自動車の運転免許取得に通っておりました。やっとの思いでとれたのですが、私はあんまり運転の才能に恵まれてないようです。こまったもんです。でも、ほぼ一日中教習に通っていられたので、体はだいぶしっかりしてきているんじゃないかな。体調も以前に比べると結構落ち着いてきました。たまに「今日だるいなー」なんて時はたいてい血圧が低いのですが、そういう時は無理せずのんびりすることにしています。
今後の見通しとして、一応来年の春から復学するつもりでいます。2年間ほど学業から遠ざかっていたぶん相当遅れてしまっていると思われるので、この冬は少し気合を入れて復習に励まねばなりません。復学してもあまりあせらず、時間をかけて体を慣らしながらやっていこうと思っています。まだしばらくは学生という気楽な身分でいて、ゆっくり健康を取り戻していく予定です。すべてはそれからです。  

]].まとめ
立花 隆ゼミ著『二十歳のころ』を読んで
二年六組 湯本倫子

私が『二十歳のころ』を最初に読んだのは、二年前の十五歳のときだったのだが、正直よくわからない部分がいっぱいあった。まあ日本のトップレベルの学者さんやら一流の音楽家たちやらの話の中に、私のような何ひとつ苦労していない小娘が読んでわからないところがあるのは当然だろう、くらいに思っていた。しかしこの夏読み返してみて、以前よりだいぶよくわかるようになった気がした。
私は今、十七歳という最も貴重とされる年代にいるが、本当にそうだと思う。だいたい、十代というのは幸せな時期だ。ほとんどが親の保護の下、衣・食・住にも満たされ、大人社会の不正や不合理などにも直面せず、あんのんとした学校生活を送っているわけである。自分は幸せだなあとつくづく感じる時がある。『二十歳のころ』の中でも、多くの人が楽しい時期だった、とか、いろいろなことをしていた、といっている。十代後半〜二十代前半とは、実によい時期のようだ。
私的なことで恐縮だが、私は十六の時に大病をして、数日間生死をさまよい、三途の川の向こうを数回見た。何とか回復して、人並みの生活をすることくらいはできるようになったのだが、予断を許さない状況のままである。しかし、十六という年で生きるか死ぬかという体験をし、自分の命、他人の命について考えることができたのは、とてもよいことだったと思う。隣の部屋で私と少ししか年の違わない人が亡くなったと思えば、すぐまた違う人が入院してくる。そこでは、死は日常だった。私は運良くよくなれたけれど、幼いころから二十年間病院と家での生活しか知らない人、不治と知っていても一日一日懸命に生きようとする人などと出会って、私は自分がなんと甘ったれだったのかよくわかったし、生きているとはどういうことなのかがよくわかった。一年近く学校から離れてみて、たくさんのことを得た気がする。
十代という時期に、するべきことはたくさんあるし、やりたいこともたくさんある。希望がいっぱいで、とても幸せな時期である。ところが、そんな時期にいる少年たちが今、信じられないような猟奇的な事件を起こしている。どうしてこんな事が起こるのか私にはよくわからないのだが、専門家たちは親が悪いとか、学校が悪いとか、地域社会に問題があるとかいろいろ言っている。私は原因がどれかひとつにあるとは思わないし、それらすべてを足してもまだなにか他の原因があるのではないかと思う。しかし、ひとつ思うことがある。その子たちは、自分のことしか考えていないのではないだろうか。他人のことを思いやる心が育まれていないから、幼稚な考え方しかできず熟考することを知らず、一瞬の激情に駆られてしまうのではないか。そうなってしまった原因はどこにあるのだろう。家庭?学校?社会そのもの?どれも正しい気がするし、もっと複雑な私なんかには考えも及ばないところにその原因があるような気もする。
『二十歳のころ』の中に、大人になるというのは一度死ぬことだ、とあったが、私は病気で死ぬ思いをして、少し大人になれたのかもしれない。自分の命の重みを理解できれば、自然と他人の命の重みも理解できるようになる。生は死の中にあるのだ。闇の中の一条の光なのだ。そのことをこの現代の日本で生活する私たちは、日ごろ恵まれすぎていてどうしても忘れがちになってしまう。あるいは、生死に関わる経験が減ってしまったりする。みんな、生きているって当たりまえと思っているけれど、本当はそうじゃない。病気でも、事故でもなんでも、体の機能の一部が壊れたり、きちんと働かなかったりするだけでも、生きることはとたんに難しくなってしまう。いのちというのはもろいものなのだ。だから、生きているって実はとってもすごいことなんだって気づいて、そのことをよく考えてみてほしい。生きたくても生きられない人はたくさんいる。もうじき二十歳のころになる私たちは、新聞やテレビの中であまりにも軽く命が失われていくことの誤りに気づき、それを正し、貴重な十代の今を、勉強したり本を読んだり、いろいろなものに触れて、せいいっぱい生きていかなければならない。
えー、これは恥ずかしながら私が高校のとき夏休みに書かされた読書感想の小論文です。 なんともつたない稚拙な作文ですが、なぜここに引用したかといいますと、年齢的にまだ『二十歳のころ』の許容範囲ですし、発病から5年を経た現在でもだいたいこんなふうに感じているからです。作文自体は最初の入院で化学療法を終えたあとの17歳のときのものですから、21歳になった今とはいくらか考えが変わっているところもあるのですが。
 今までこの文章を書きながら一番思い出していたのは、これまでに同じ病棟で出会えたものの残念ながら亡くなってしまった患者さんたちのことでした。どの方も、一生懸命病気と闘い、生きようとなさっていました。その方々のお顔を思い出すたびに、悔しさや悲しみで胸が痛みます。そしてまた反対に、自分が今生きているというのがどれだけすごいことかを感じます。私のような白血病は、最初はたったひとつの異常な細胞から始まりました。肉眼ではとても見えないような小さな細胞が、増殖して体の機能を狂わせてしまうのです。他のガンや病気も、体の中のささいな狂いから起こるのです。私は病気をして初めて、いのちとはこんなにももろいものなのだと知りました。生きているってすごいことなのだと気づいたのです。でも、だからこそ貴重で、かけがえのないものなのです。
私の今ある生を支えてくれた人たち。まずはなんといってもドナーの方です。この方がいなければすべてがありませんでした。見ず知らずの私にいのちを与えてくださった、私にとっちゃ神様のような存在です。感謝してもしきれません。いただいたいのち、大事に大事にしていきます。どうもありがとう。
友人たち。励ましの手紙やメールをちょくちょくくれたり、外泊の時にちょこっときてくれたり、とっても嬉しかったよ、ありがとう。これからもよろしく。
恩師の先生方。不出来な教え子でまことに恐縮です。メールやお手紙いただきまして、とっても励みになりました。ありがとうございます。また顔見せに行きますんでよろしく。
お見舞いに来てくれたりと、何かと気にかけてくださったつばさの会の皆様、本当にお世話になりました。忘年会楽しかったです。また参加してみたいです。ありがとう。
病院のスタッフの皆様。ドクターたち、薬剤師さん、看護師さんたち。口が悪くて理屈っぽくてやかましい私に本当によくしてくれました。ありがとう。
親戚のみんな。私の食欲魔人ぶりにもめげずいつもおいしいものや本などの差し入れしてくれてありがとう。つらい病院生活での楽しみにしてました。
主治医の先生。いつも尊敬してます。私がこんなに元気になれたのは先生のおかげです。どんなこともしっかり説明して下さるので、苦しい闘病生活でも安心していられました。本当にありがとう。これからもまだまだお世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。
両親。まだ当分は面倒見ていただく必要がありますんでよろしく頼みます。まあ、もうしばらくは達者でいて、しっかり働いて下さい。
皆様に心より感謝申し上げます。どうもありがとうございました。私、生きていきます。...おわり

この闘病記のご感想を是非事務局までお寄せください。

10回に及んだ体験記の連載も、遂に最終となりました。
倫子さんは、自分に向き合った記録をまとめていく日々の中で、上手に時間を使って体力も気力もパワーアップして取り戻してきたように感じます。
もしかしたら泣きながら書いたかもしれない、この最終の原稿を皆さんに読んでいただけるのは、つばさ通信を編集している私にとっても大きな喜びてす。
たくさんの人に言いたい「ありがとう」を感じられる事は本当に素晴らしいことです。
倫子さんに骨髄液を提供してくださった・・あなたにも・・・私からもお礼を言います。本当に本当にありがとうございました。 倫子さんは、車の免許も取って、ハラハラドキドキの若葉マークをしています。
新しい年は、やさしい春を連れて待っています。

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活動報告


12月5日(金) 上小学校栄養士会の研修会にて講演 斉藤代表
実は斎藤の古巣です。かつての先輩達が引っ張って呼んでくださったのです。
なんだか、とても嬉しい時間でした。義理もあってか押し売りの本もとてもたくさん買っていただきました

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皆様のご寄付を心より感謝いたします

(敬称略・順不同)
匿名(20,000円)、半田 孝志(50,000円)

皆様のご寄付を心より感謝いたします。

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伝言板

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一年頑張った会の報告

雪のまったくない、雨降るスキー場のペンションに、総勢21名の仲間が集いました。
一言・・・楽しかった。
大人も子供も楽しみました。
子供と言えば、この忘年会を始めた頃は、保育園の子だっていたのに、一番ちびさんでも中学一年生・・・になっていて、社会人や学生で忘年会卒業をしてしまった子もいます。
いつになく、活動を開始してからの時間の流れを実感しました。
ああ、でも逆に「おじいちゃん・おばあちゃん」になった仲間もいて、年を重ねた意味には変わりはありませんが、みんないい時間を過ごしてきています。

今年は、つばさ通信のホームページのアップはスペイン発になりました。その担当者は、気分はスペインから忘年会参加していたようです。
今頃・・・「♪もう〜幾つ〜寝・る・と・・・」を歌っては指を折り、お正月に日本に帰国する日を待っている事でしよう。せっかくなので、そんなメールを紹介して、今年の締めにいたします。 良いお年をお迎えください。
スペイン発、ホームページ担当 伴田氏からのメール(本人への掲載許可伺いは×)

Hola Yoshimi,(オラ ヨシミ)<こんにちは よしみさん>
Que tal?(ケ タル?)<元気ですか?、調子はどうですか?>
Yo tube cincuenta y cuatro anos la semana pasada.(ヨ トゥベ シンクエンタ イ クアトゥロ アニョス ラ セマナ パサダ><私は先週54歳になりました>
本当に1年過ぎるのが早いです。
忘年会の写真が無いのは残念ですが、盛り上がって良かったです。
まさに、も〜う幾つ寝ると・・・が現実味をおびてきました。
それでは皆さんに宜しく。
万全な体調で日本に帰りたいと思います。

みんで待ってま〜す(^o^)

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