つばさ通信

編集・発行元:事務局
毎月1回発行

2003年6月発行(第160号)

骨髄データ登録者数

5月(人) 累計(人)
全国 1,657 170,560
*患者現在登録数:2,134人

公的骨髄バンクを通じた骨髄移植 5/31現在 (4,858例)


今月号の内容

 
Monthly Report
連載「私 生きられるんだ C」
皆様のご寄付を心より感謝いたします
伝言板

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Monthly Report

2003.6.17(骨髄移植推進財団発行より抜粋)

移植5000例まであと142例。9月28日に記念大会を実施します。

日本骨髄バンクでの骨髄移植件数は、1993年1月に第1例が実施されて以来、10年経過した本年8月には5000例に到達する予定です。本年5月までに4858例の移植が実施されていますので、あと142例です。1000例到達は1997年2月(4年1カ月)、2000例は1999年5月(2年3カ月)、3000例は2000年12月(1年7カ月)、4000例は2002年2月(1年2カ月)にそれぞれ到達しています。(()内は次の1000例達成までの期間です。)
当財団は、これまでの軌跡をたどり、今そしてまだ「待っている患者さん」のために、関係者する皆様の認識を高めてドナー登録目標の30万人へとつなげるため、9月28日(日)午後1時30分より、早稲田大学大隈講堂において、5000例到達記念「骨髄バンク推進全国大会 2003」を開催します。多くの皆様のご参加をお待ちしております。(詳細は7月、8月のマンスリーでお伝えします。)

5月のドナー登録会報告。事前登録説明会もスタート。

5月のドナー登録者数は1657人で、取消者数は554人、実質増加数は1103人で前年同月の登録者数の112%という実績でした。登録会は60回実施され(うち献血併行型56回)、合計753人の方にご登録をいただきました。登録会の回数、人数共に前年同月を上回りましたが、固定窓口の登録者が登録会登録者の割合をわずかに上回りました。
都道府県別のドナー登録会開催数は、福島8回、京都、沖縄7回、富山6回、東京5回、栃木、石川4回、新潟、岐阜、愛知3回、茨城2回、北海道、宮城、埼玉、千葉、神奈川、兵庫、奈良、佐賀1回でした。登録回数上位の福島県、京都府、富山県は、行政の献血スケジュールに骨髄ドナー登録会を汲み入れる方式でドナー登録会を順調に開催していただいています。
また、今年度から始まった事前登録説明会は20回開催され、うち16回は大阪の「友情」公演会場という新発想での試みでした。また、職域献血実施が予定される企業での開催は効果的な取組となっています。

ドナー登録推進を防衛庁、東京都へ要望。全国への波及効果を期待!

ドナー登録推進員配置(富山県方式)東京都へ要望
6月2日(月)、当財団はボランティアの方々の熱心な働きかけにより、公明党都議会石井幹事長などの同席のもと、東京都産業労働局長に対してドナー登録推進のため「緊急地域雇用創出特別基金を活用し、ドナー登録推進員の配置」を要望しました。都産業労働局長からは、健康局とも協議し連携して要望に応えるつもりであり、今秋から推進員を採用配置する意向が表明されました。
この基金活用は、すでに富山県、茨城県で開始されており、それぞれドナー登録者が大幅に増加する成果を上げています。今後、これらの例が全国に波及することが期待されます。
防衛庁へドナー登録推進を要望
6月6日(金)、全国骨髄バンク推進連絡協議会と当財団は合同で上川陽子衆議院議員の同席のもと、防衛庁に対しドナー登録推進への協力を要望しました。具体案として、ポスター、パンフレット等の配付による普及啓発、沖縄県で実施されている献血併行型登録会を全国で計画的に実施することを提案しました。小島敏男長官官房政務官及び運用局衛生官(課長)からは「全国の各自衛隊部隊に対し、協力するよう連絡通知したい」との意向が表明されました。
登録会の開催は、各地の支援団体、地区普及広報委員などから各部隊と日赤へ申し入れが必要となります。全国協議会からは、各地の支援団体と連携して全面的に協力する旨の力強い支援を表明されています。各部隊単位で多数の登録者が見込まれる場合は、事前説明会の説明済証を有効活用するなど、今後、各地で詰めていくことになります。

「地区普及広報委員・説明員合同研修会」を各地で開催しています。

本年度は、地方自治体への国庫補助金が廃止され、地方交付税への移行措置されるなど、骨髄バンク事業を取り巻く環境が大きく変化しています。一方、ドナー登録目標は年間3万5千人へと拡大され、地域での普及啓発とドナー登録会に携わる地区普及広報委員、説明員の役割が以前にもまして高くなってきました。そこで、本年度の事業計画に基づき、啓発活動全般やドナー登録会開催の成功例、失敗例など、情報の交換、共有化をはかることで、さらなる登録者の増加につなげるため「地区普及広報委員・説明員合同研修会」を開催いたします。(新潟会場6月8日、大阪会場15日、16日は終了)
なお、研修会は公開で行います。地区普及広報委員、説明員以外で参加希望の方は事前に広報渉外部までお申し出下さい。

6月21日 (土)福岡県赤十字血液センター天神出張所 6月28日(土) 仙台福祉プラザ・11階第1研修室
6月29日(日) 財団事務局(廣瀬第2ビル3階会議室)7月2日(水) 財団事務局(廣瀬第2ビル3階会議室)
7月5日(土) 札幌市社会福祉総合センター第二会議室7月12日(土)名古屋第一赤十字病院・古川講堂

骨髄バンクニュース22号、7月2日発行。手にとってお読みください。

年2回発行している骨髄バンクニュースを7月2日に発行します。今回はドナーの方と患者さんのインタビュー、6月12日にさい帯血移植1000例到達のニュースがあり、最近実施例が急増し注目を集めている「さい帯血バンク」と「骨髄バンク」を比較し双方の重要性について取り上げました。さらに、公共広告機構の新キャンペーンなどについてのトピックスを掲載しています。ドナー登録者の皆様には、早い方で7月3日から、複数部数を申し込まれた関係者の皆さまには7月第2週目からお手元に届く手配をしています。

「全国骨髄バンクボランティアの集い」横浜で開催。

5月17日(土)、横浜市開港記念館において、全国骨髄バンク推進協議会は総会に併せ「ボランティアの集い」を開催しました。式典、記念ポスターコンクール表彰式に引き続き、「患者家族が語りはじめる時」と題し、朝日新聞上野創記者が、自らのがん闘病体験談を講演し、その後、患者家族、看護師、ボランティアがそれぞれの立場でしてきたこと、できることを発表し、会場の参加者も「自分にできること」を自ら問い掛けました。併催事業として、医療講演会、個別相談会が同会館で開催されました。翌18日には総会と横浜そごう前でドナー登録会、パネル展が開催されました。なお、上野記者の著書「がんと向き合って」(晶文社)は、その後、第51回日本エッセイスト・クラブ賞に選ばれました。

第25回通常理事会と評議員会、財団各委員会開催予定。

6月27日(金)、15時から第25回通常理事会、第25回通常評議員会が当財団のある廣瀬第2ビル3階会議室(東京都千代田区)において公開で開催されます。平成14年度事業報告案、平成14年度一般会計及び特別会計収支決算報告案等について審議される予定です。
理事会、評議員会、公開委員会の傍聴をご希望の方は、事前に財団事務局までお申込みください。

公開・非公開 開催予定
普及広報委員会 公開 6/24(火)18:00〜21:00(廣瀬第2ビル3階会議室)
第25回通常理事会・評議員会 公開 6/27(金)15:00〜17:00(廣瀬第2ビル3階会議室)
医療委員会 公開 6/29(日)11:00〜14:00(慶應大学病院総合医科学研究棟2階会議室)
* 国の造血細胞移植委員会は6月27日(金)10:00〜12:00 航空会館B101会議室(B1階)(港区新橋1−18−1)において開催されます。

当財団への問合せが減少しています。各団体や企業、サークル等の機関紙にドナー登録問合せ電話「財団フリーダイヤル0120-445-445」と「財団ホームページアドレスhttp://www.jmdp.or.jp/」の掲載をお願いします。

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つばさの会の仲間の骨髄移植体験記連載。

私 生きられるんだ C

〜移植体験を通じて思ったこと〜 湯本倫子

Z.ヒックマンカテーテル挿入(Day−30)
骨髄移植の日まであと一ヶ月になりました。ここで、今までのIVH(中心静脈カテーテル)よりも感染の元になりにくくて丈夫なヒックマンカテーテルという管を入れる処置があるのですが、これがまた(私にとっては)えらい事件になってしまったのです。
その日の朝、私は意気揚々と看護師さんと共に手術室に入っていきました。術衣にも着替えたし、生まれて始めて見る手術室の様子に、あー、ライトのあの感じ、ドラマのまんまだなーとか、へえ、結構広いものなんだなーなどと思いながらいくぶん緊張気味に手術台に乗ったのですが、台に上がってしばらくすると、青い顔をした主治医が飛んできてイキナリ「ちょっとこれから病棟に戻って骨髄検査をしよう」というのです。…はあ?こないだやったばっかじゃんか。いったいどうして?と質問する私に説明してくれたところ、今朝移植前のより詳しい血液検査をした結果、重要なタンパク質のひとつであるフィブリノーゲンの値がとても低かったそうで、私のAMLM3というタイプは発病時にその値が非常に下がっているものだから、この様子だとひょっとすると再発しているかもしれない、というのです。
ガビョーン…ガビョーン…ガビョーン…ガビョーン…なんてこったい。これまでの治療の経過だってすこぶる順調だったし、ドナー様も移植日も決まっているってのに、ここまできて…ああこれからまたあの寛解導入療法か、なんて無慈悲なんだ。結局ふりだしかよ、そんなふうにいろいろ考えてたと思います。それからはどうやって病棟まで戻ったのか、マルクもなんだかボーっとしていて痛かったんだかなんだかよく覚えていません。私もかなり動転していましたが、主治医もまた相当動転していたようです。あとで看護師さんから伺ったのですが、「あのときのK先生にはとても声をかけられなかったよー」だそうです。私はくやしいやら切ないやらで長いこと呆然としていましたが、ただひたすら間違いであってくれ、と祈っていました。思わず母に「お母さーん、私だめなんかも…」と電話までしてしまいました。そして2時間ほどして、主治医が超特急で調べてもらったという検査結果を持ってすごい勢いで飛んできて、開口一番「大丈夫だったよ!再発してなかった!」とおっしゃったのです。
  二人して「はあ〜…」と盛大なため息をつき、私は脱力のあまりベッドに倒れこんでしまいました。そのあとに駆け込んできた母も、「なんか、だいじょぶだったみたい」という私の報告を聞くとヘナヘナと椅子に座り込んでしまいました。とにかくよかったよかった、よかったんだけども、一体なんだったんだろう、なんで値が低かったんだろう、と議論になりました。いずれにしても予定どおりに、と夕方からあらためて処置が開始されました。処置自体は1時間程度で終わりましたが(結構痛くてしんどかった)、なんだかもう朝から緊張したりホッとしたりの繰り返しで精神的にヘロヘロになってました。病室に戻ったらもう外は真っ暗でした。
後日談ですが、その後様々な検査をした結果、私は病気と関係なく元々フィブリノーゲンが低い体質なのだそうです。そんなに心配要らないとの事でした。そうとは知らずにびっくりしてしまった事件だったわけですが、これからは低い値が出てもさほど気にせずにすむわけだし、大事な移植前にそういうことがわかったのはまあよかったかな、とすることにしました。ちなみにヒックマンカテーテルとは、ヒックマンというアメリカの小児科医が考案したものなんだそうです。変わった名前だなあ、とずっと思っていたのです。

[.めまぐるしい忙しさ (Day−29〜−20)
それからしばらくの間はとにかく検査・検査の日々でした。体中すみからすみまで調べつくすのです。それはつまり、病院中のほとんどの科と検査室をかたっぱしから駆けずり回るということでした。西棟のてっぺんにある西5病棟から、北のはずれにCTを撮りに行って戻ってきたら、今度は東のはずれの外科に行き、それから超音波、という感じで、入院生活で体力の低下した私は毎日夕方にはクタクタになっていました。おまけに私はエレベーターが大の苦手で、上がったり降りたりの繰り返しで余計にグッタリでした。肺機能の検査では、血液データも十分上がってきていなかったせいもあってか貧血でひっくり返りそうになってしまったりしました。あの検査は体調の優れないときはやめたほうがいいと思います。
ところでヒックマンカテーテルというのは、皮膚にぴったりくっつくように右胸上部の皮下を通してから静脈に入っているもので、ぴたっとくっつくまで約2週間右腕と胴体を密着させておかなければなりません。ちょっと気なしでいると離してしまうので、そのために右腕と胴を紐なりなんなりで縛ってくくりつけておきます。少し食事しづらかったりあせもが心配だったりいろいろあるのですが、なにより私はその格好であちこちの科を受診してまわるのは、なんかちょっとヤダな、と思っていました。他科の外来には一般の患者さんが大勢いらしてますので、どこへいっても注目の的になりました。やたら可愛らしい柄のパジャマを着てぴったりした帽子をかぶってドクターのような特殊なマスクをしてメガネをかけて(私は目が悪い)年齢不詳に見えてあげくに縛られてる…この人なんなんだろうと思われても不思議はありません。その時知ったのですが、看護師さんたちといえども他科ではヒックマンカテーテルのことは全くご存知でない人が多く、それどうしたんですか?とか、手、どうかなさったんですか?などとどこへ行っても聞かれました。始めのころこそきちんと説明していましたが、そのうち何度も同じ事を言うのに辟易して適当にあしらうようになってきました。ひどいときには、それ、なにかのおまじないですか?なんてこともいわれました。ですが、極めつけは精神科に行った時のことでした。診察室に呼ばれるのを待つ間、私のほかに少し離れた廊下側の長椅子にオバサンが二人いるだけだったのですが、左にいたオバンが私を見て、「あの子暴れるんかしら…」ボソっと(しかしはっきりと聞こえる音量で)言ったのです。なんだとこのヤロー、寝言言ってんじゃねーぞババア、私だって好きでこんなカッコしてんじゃねーやチクショーメ!と、連日の忙しさとそのストレスで不機嫌だった私は今にもプッツンしそうになりました。いっそマジで暴れてやろうかとか、いややはりここは冷静になって彼女に意見するべきかとしばし悩んでいるうちに私は診察室に呼ばれてしまい、そのオバンはどこぞへ消えていきました。病棟に戻ってからもその日一日私は猛烈に気分が悪く、看護師さんや両親にあたり散らしていました。精神科では心理テストやらなにやらやりましたが、当たってるようなそうでないようなで別に問題なく、結局どういう意味があったのかあまりよくわかりませんでした。
もうひとつ。ある日の朝食時に、思わず下唇の内側を(ほんの)ちょっとだけ噛んでしまったのです。大事な移植前、採血の針穴以外ひと筋のかすり傷も作るものかと気を張っていたつもりなのですが、少々油断したようでした。しまった!と思ったときはもう遅いものです。仕方なく口腔外科へみてもらいに行って診察台に乗ると、突然ばっちーん!!…アタマになにやら衝撃が。ふりむくと、以前親知らずの件(前述)でお世話になったS先生が悪鬼のような形相で仁王立ちになり、ギロリと私をにらみつけ、「口ん中噛んじゃったって?なにやってんだよ、ダメじゃん!ちゃんと注意したろ?もし移植伸びちゃったらどうするんだよ!」と、声を張り上げておっしゃったのです。…たぶん口腔外科中の人に聞こえたのでしょう。なにしろお声のよ〜く通る方なのです。何事なの?あの子いったい何したの?とあちこちからささやきが漏れ聞こえました。私はいたたまれない思いで診察を受けました。移植が伸びるかもなんて思いもしなかった…そんなことになったらドナーの方に申し訳が立たないぞ、と心から恥じ入りました。そして、しばらくは頻繁に見せにこいとか、甘いもの・辛いもの・熱いものといった刺激物はよくなるまでいっさいやめろとか、今後はもっと気をつけろといった注意を十分すぎるほど賜って、とぼとぼと病棟に戻りました。そのうちに、ドクターが私のことを心配して怒ってらしたのだということはわかるけれど、考えてみれば、私だって噛みたくて噛んだわけじゃない、だのになんでこんな理不尽なまでにしかられなきゃいけないのかなあ、何もひっぱたかなくてもいいじゃんかという気がしてきて、主治医にそう訴えてみました。すると「ハハハ、それだけ気合入れてもらえば、これからはもう心配いらないね〜」とケタケタ笑いながら去っていってしまわれました。 ………。口の中はそれから1週間くらいですっかり治りました。ホッ。
他にも、度重なる治療で痛めつけられてほとんど血管が出なくなってしまった私の腕は大変看護師さん泣かせで、血糖の検査では4回の採血ですむはずが倍の8回も刺されて腕中針穴だらけになったり、CTの造影剤の注射に3回失敗されたり、結構難儀しました。が、いずれの検査でも特に問題なく、無事移植に臨めることになりました。これからは、骨髄移植センターの外には出られないことになります。それにしても忙しい日々でした。...つづく

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(敬称略・順不同)
匿名(20,000円)、小宮山 淳(8,000円)
堀 俊彦(3,000円)

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